てしま島苑さん < First interview > 前編
第6回目の「作り手の声」は、香川県・手島で作陶する「てしま島苑」のお二人、
松下龍平さんと松原恵美さんです。

丸亀港から旅客船に1時間以上乗って向かうのは、瀬戸内海に浮かぶ小さな島、手島。
お二人が2年かけてセルフリノベーションした築100年以上の古民家でお話を伺いました。
港からほど近いこの場所には、小さなギャラリースペースも併設した工房、手作りの薪窯、倉庫を改造した釉薬のLaboと貯蔵庫、そして最近置き始めた養蜂箱まで。
島での暮らしと制作が、少しずつ層を重ねてきた場所でした。
松下さんは考えること、実験すること、仕掛けることが好き。
松原さんは手を動かし、土と向き合い、研鑽を重ねることが好き。
話し方も、笑い方も、物事への近づき方も、ずいぶん違う。
でもその違いが、てしま島苑という器をかたちづくっているように見えました。
この前編では、お二人の陶芸との出会い、そして手島でのゼロからのスタートについてまとめています。
松原恵美さんの出発点は、ファッションデザイナーだった
「きっかけはファッションデザイナーになりたかったっていうところですね」
中学生の頃、服飾雑誌に夢中になり、子供アトリエで自分でデザインした服をちっちゃな布切れで縫っていた。その延長で探した進路が、京都市内にあった公立の美術高校でした。
入学すると、日本画・油彩・彫刻・漆・染色・陶芸・ファッション・デザインと、8つの分野を1年かけて体験する。2年生でどれかを選ぶ、という仕組みでした。
「最後までファッションと陶芸を残して悩んでたんですけど、ファッションは高校卒業したらやったらいいやって。今は陶芸の方がちょっと面白かったので」
そうして陶芸を選んだ。大学も陶芸。卒業後は東京の陶芸教室で働いた。
でもある時、バーンと燃え尽きて、陶芸とは関係のない仕事に就いた。
「生きてる理由がわかんなくなって。このまま何のやりがいも感じないままやり続けて生きるのかなって思って」
そのタイミングで、以前の職場の後輩から聞いた一言。
「来年から京都の陶芸の職業訓練校に行くんです」。
「その瞬間に、私も行くって決めて。(陶芸に)助けて!っていう気持ちで」
勢いで会社に報告し、受験し、合格した。京都に実家があったことも背中を押してくれた。 陶芸に戻るというより、もう一度、自分を立て直すための選択だったのかもしれません。
「一番好きになっちゃうと、続けられない。2番目がいい。長く続けられるタイプの好きだなっていう」
その感覚が、今も陶芸を続けさせているのだと、松原さんは言います。

↑ 素焼きを終えた作品の出来を確かめる松原さん
松下さんの出発点は、プロダクトデザインだった
「僕はもともとデザインがやりたくて入ったって感じです」

高校生の頃、イームズの家具や、深澤直人さん、マーク・ニューソンといったプロダクトデザイナーに夢中になった。
武蔵野美術大学に進み、1年生・2年生で様々な分野を体験するカリキュラムの中で、陶芸に興味を持った。
大学を卒業した後、しばらくは自分で陶芸を続けていたが、ある日気になり始めた。
「ロクロが下手だなと思って。独学で磨き直すという手段もあったんですけど、自分の性質的に人に習ってバーって覚えた方がいいだろうなと思って」
先輩から「軍隊みたいにロクロを教えてくれるところがあるよ」と聞いて、京都府立陶工高等技術専門校へ。松原さんと同じ訓練校に、それぞれの経緯で辿り着いた。
「なんかウキウキする。そんないいところあるんですかって」
松原さんが笑いながら言うと、松下さんも笑う。
二人が出会ったのは、そこでした。
訓練校で学んだこと、忘れたこと
訓練校では、京都の職人としての作り方を体系的に叩き込まれた。 ロクロの回転方向、土の取り方、削り方。
でも今の二人の作り方は、当時とはまったく違う。
「先生も言ってたんですよ。ここで学んだこと、多分意味なくなるぞって」
「でも行ってよかったよ。明らかにロクロが早くなったし。」と松原さん。
「取捨選択ができる。ここはいかせてる、これは合わへんっていう」
学んだことを土台に、手放すものを選んでいく。
その作業ができたのは、一度ちゃんと受け取ったからだったのかもしれません。
島の素材を使うことになった、ごく自然な経緯
日本の人口の少ないエリアを内側から盛り上げたい、そんな思いで同級生が日本地図を広げ見つけたのがこの手島だったといいます。
その同級生も今は島に根を張り、本職の他に島でNPOを立ち上げ、島の自然教育センターの管理などをしています。
移住当初、松下さんは材料を取り寄せて作陶していた。でも島に来てから、その手間はさらに増えた。船に乗せて、自分で取りに行って。
「なんかこう、小骨が引っかかったような違和感」がずっとあった。生産者も産地も知らないまま、クリック一つで届く材料に依存して作ること。足元を見れば、土も植物も、島にはいくらでもある。
「自分の足元にいっぱいあるし、ちょっと使ってみようかぐらいな感じで。本当にこんな感じです」

↑ 手島で採れる土。海辺にあるため、潮が引いた後が採取のチャンス
そこから、採取して、テストして、試行錯誤が始まった。
また、この地の素材を使ったものづくりには、栃木・佐野市で活動する陶芸家との出会いも、大きな転機になった。
その地にある素材を使った陶芸。
違う土地での実践を参考に、島に戻って自分たちのやり方を探した。
「そしたら見つかった」
松下さんはそう言って、少し笑いました。
後編では、手島の素材から生まれる釉薬の実験、お二人の役割分担、そして「土になめんなよ」と言われた野焼きの体験まで、てしま島苑の制作の核心に迫ります。