陶芸家 出口結莉さん < First interview > 前編
第7回目の「作り手の声」は、茨城県笠間市で主に活動、現在は城里町で「陶胎漆器」を作る、出口結莉さんです。
出口結莉さんの作品に初めて触れたのは、2025年秋、笠間の陶器イベント「陶と暮らし」でのことでした。
ブースに並んでいた朱色の器。
深みのある色合いと木彫りを思わせる表面から、漆器だと思って手に取ると、明らかに木より重い。でも釉薬のかかった陶器ともまるで違う、しっとりとした感触がある。思わず声をかけていました。
それが出口さんの「陶胎漆器」でした。
陶胎漆器は、陶器の素地に漆を何度も塗り重ねて仕上げる技法。
釉薬をかけて焼き上げる通常の陶器とは異なり、塗っては乾かし、ヤスリをかけてまた塗る、という工程を繰り返します。
縄文時代にも存在した古い手法でありながら、現在、これに取り組む作家は多くはありません。
柔らかな雰囲気をまとう出口さんですが、「試練があるほど燃えるタイプ」。
前編では、自身で制作の道を切り開いていく出口さんの、陶胎漆器との出会いをお届けします。

出発点は、映画監督を目指していた学生時代だった
「全部一人で作ったって、自信を持って言えなくて」
陶芸を始める前、出口さんは映画制作を学ぶ専門学校の学生でした。
監督を志し、ショートフィルムで受賞したこともある。けれど、映画は集団で作るものです。助けてもらいながら完成する作品を、「自分の作品だ」とどこかで言い切れない自分がいました。
だったら、最初から最後まで自分一人で完結できるものを作りたい。そう思ったとき、頭にあったのはクレイアニメーションでした。
動く粘土の不思議な感触への興味が、陶芸への入口になりました。
東京から近い産地として笠間を選び、茨城県立笠間陶芸大学校へ入学。そこで出会った絵付け作家の先生が、出口さんの制作の根っこにある「問い」を育てていきます。
「作家としてどう生きるか」を問い続ける授業
「心理テストを受けているような気分になるんですけど」
技術を教えるよりも、どういうふうに作家として生きていきたいのかを問い続ける授業。それが出口さんの印象に残っている先生の授業でした。
↑ アーティストとして活動し始めた頃の出口さん初期作品
アーティストとしての個性をどう育てていくか。正解を教えるのではなく、問い続ける。笠間という、アーティスト志向の作家が多い産地の空気ともあいまって、出口さんは「やりたいことをどんどんやっていいんだ」という感覚を育てていきました。
「今でもその先生の声が聞こえてくる気がして、こうしたいっていう構想も次から次へと出てくるんですよね。」
窯ではなく、野原で焼き続けた
笠間の陶芸大学校を卒業後、出口さんが陶芸を続ける場所として選んだのは、学校から紹介してもらった、数人の人とシェアできる貸し工房。
貸し工房には窯があり、借りれば使えた。でもあえて借りずに、野焼きや七輪で焼き続けた。周囲からは不思議がられながらも、「自分の焼き方を自分で確立したい」という思いが強かった。
陶芸を始めたそもそもの理由が「自分で最初から最後まで」だったのだから、そこは曲げたくなかったのかもしれません。
↑ 現在もオブジェなどのアート作品は野焼きでも焼く
ただ、野焼きにも限界が。「器」としての強度が出ない。
オブジェや置物であれば風合いも出て面白い。でも、日常で使える器を作ろうとすると、どうしても難しい。縄文的なニュアンスを持ちながら、ちゃんと使える器はできないか。そう考えながら縄文土器を調べていたとき、「陶胎漆器」という文字が目に入りました。
縄文土器を調べていたら、たどり着いた
「なんだそれ、と思って。縄文人が漆を使ってるって、思ってなかったんで」

衝撃だった、と出口さんは言います。
土器に漆を塗る実験を繰り返し、試行錯誤の末にたどり着いたのが、今の形です。陶器として一度しっかり焼き締めてから漆を重ねることで、木の漆器とは異なる発色と重みが生まれる。野焼きへの探求が、思いもよらない場所へと出口さんを連れてきました。
漆の扱いは独学です。道具も塗り方も、何もわからないところから始めました。最初にかぶれたとき、腕がぼこぼこに腫れました。今も完全には慣れていない。それでも続けてきたのは、この素材と技法にしか出せない何かがあると、出口さん自身が感じているからだと思います。
「試練があるほど燃えるタイプなので!」
そう笑う出口さんの手には、まだうっすらとかぶれの跡がありました。
後編では、塗り重ねるたびに表情が変わる漆の面白さと、出口さんが器に込めていること、そして友人達とともに始めた自宅の周りでの漆の植栽についてお届けします。